2ちゃんねる簡易年表(2000年)
2000年当時なら「大きな出来事」であったことでも
2002年だとたいしたことではないという場合もあり、
どこまで細かく取り上げるか難しいという部分もあるわけですが…。
とりあえず簡単なまとめということです。
時系列の確認等にお使いいただければ幸いです。
初期の頃(1999〜)
2ちゃんねるの始まった頃(99年5月頃)
からの歴史という点では、
2ちゃんねる愛の劇場
に保存されている
2ちゃんねるの歩み
が一番資料として役立つような気がします。
開設時から2000年2月あたりまでの出来事が細かくメモされています。
それ以外ではワイン比呂有紀氏の書いた
「ネットバカ一代」
が読み物として大変面白く書けていると思います。
またひろゆき氏が99年当時melmaで出していた
メルマガの
バックナンバー
も雰囲気をつかむ材料になるかもしれません。
2000年4月
この頃発生したのが「銃夢ハンドルネーム事件」です。
2ちゃんねるをはじめとするネット内各所で大きな話題になりました。
詳細は
銃夢HN問題を記憶に止めるために
というサイトに委ねますが、
簡単に言えば、漫画家の木城ゆきと氏が彼の作品「銃夢」と
同じハンドルネームを使っていた人に、
そのハンドルの中止を求めたものです。
木城氏側は頑として譲らず、かなり強硬だったと記憶していますが、
紙媒体の「宝島」に記事が出た途端に謝罪しました。
2000年5月
5月3日、バスジャック事件発生。
佐賀県佐賀市17歳・・・。
1 名前: ネオむぎ茶 投稿日: 2000/05/03(水) 12:18
ヒヒヒヒヒ
という書き込みで2ちゃんねるが話題になり、非常に激重になりアクセス出来なくなるなどの障害が。
ネオ麦茶事件の関連でひろゆき氏がニュースステーションなどの取材を受け、
放送される。
(参考サイト;
http://usagi.tadaima.com/2chbbs/index.html
)
5月12日、横浜で高校生が電車内で人をハンマーで殴る事件が発生。
この高校生は2ちゃんねるで犯行予告をしていた。
(参考/
ハンマー事件を掲示板で予告/横浜の17歳高校生(毎日新聞)
)
2000年6月
6月3日にNHKスペシャル「17歳の衝動」が放映される。
バスジャック事件をテーマにしたもの。
弐ch編者氏や、2ちゃんねる運営スタッフの上田浩さんなどが出演し、
ロビー周辺で騒ぎになる。
ロビー(当時は「虹色ロビー」だったはず)での内紛(半分はネタだが)をきっかけに
弐ch編者氏が「2編ちゃんねる」を設立。
当初はロビー住人の多くが訪れかなり盛り上がる。
ひろゆき氏から「mentaiはただで貸してもらっている」という趣旨の発言あり。
mentaiとは当時の2ちゃんねるの鯖の名前のひとつ。
夜勤氏(BigServer)からの鯖提供が始まったのはたぶんこのころから。
21日、私が「2ちゃんねる研究」を開設した日である。
この頃の2ちゃんねるはまだUG色が強く、
「2ちゃんねるにアクセスすること自体が危険」と、
まことしやかに言われていたような記憶がある。
2000年7月
キルタイムコミュニケーションから「2ちゃんねるの本」が発売。
2000年8月
「2編ちゃんねる」が「Megabbs」に改名。
2ちゃんねるがYahoo!に登録される。
お盆休みの間、2ちゃんねるのトップページが落ち続ける。
2000年9月
「soundillusion」というネットラジオがこの当時存在していました。
ひろゆき氏や激裏氏やサイバッチの人などをゲストに呼んで
放送するというなかなか面白い試みで、最初の頃は期待されていました。
(この後いろいろ問題になるが、10月の部分で後述)。
ともかく9月1日、この「soundillusion」のイベントがロフトプラスワンで行われ、
そこでの”チャリティーオークション”に
「ロビー」の命名権(一ヶ月間有効)が出され、激裏氏が10万円で落札しました。
またひろゆき氏の陰毛も出品され、1万円で落札されたようです。
(正確には色紙の値段が上がらないので陰毛を付けた)。
(参考/
「ひろゆきのチン毛」Battle Watcher Annex(9月2日)
)。
15日の夜から17日の夜まで2ちゃんねるに繋げなくなる。
ひろゆき氏がDNSを起動し忘れていたのが原因。
IPアドレスではアクセスできた。
この当時シドニーオリンピックが開催されていたが、
柔道での篠原誤審問題で、オリンピック板が埋め尽くされる。
この頃は今のようにスレ立て規制が厳しくなかったので、
こういうこともあった。
だいたいこの頃からID制が導入される?
ひろゆき氏と切込隊長が初めて出会ったのはこの頃らしい。
2000年10月
宮崎勤のサイトなるものが公開されるが、
やはり2ちゃんねらーが掲示板で暴れる。
「サポートセンターの秘密」のhiromi氏が、「soundillusion」の運営者の杜撰さを
サイト上で批判し始める。
(ちなみにひろゆき氏は擁護していた)。
この後「soundillusion」は自然消滅。
(参考/
「サウンドイリュージョンの秘密」Battle Watcher Annex(11月19日)
)
10月30日、ひろゆき氏が(切込隊長主宰の)神宮前.orgのイベントに出演。
ただしこのころは切込隊長はまだ2ちゃんねるの運営にはタッチしておらず、
表にも出てきていない。
2000年11月
「虹色ロビー」が、「廃墟ロビー」と「おいらロビー」に分割される。
簡単に言えば、
ロビーが2ちゃんねる古参住人の溜まり場となっていたため、
それを「改善」しようというもので、
以前から行われていたロビー弾圧(古参住人弾圧)の一環である。
この後も様々な形で古参住人に対する「弾圧」は続く。
キルタイムコミュニケーションから「2ちゃんねるの本〈第2弾〉」
が発売される。
2000年12月
ひろゆき氏が飲み友達から頼まれたという理由で、
「ゾイド板」を作る。
ひろゆき氏が、「チーム2ちゃんねる」という歌を発表。
(「激走、爆走、チーム2ちゃんねる〜」という歌)。
12月9日、Team2chとして筑波サーキットのバイクレースに参加。
別にひろゆき氏がライダーになったわけではないが、
現場を訪れる。